2025年1月6日月曜日

核兵器工場のオバちゃん達から、現代文明を見つめる

核爆弾は誰が作ってるんだろうか?秘密の研究所で働く邪悪な科学者たち?まあ、最初はそうだったかも。でも今は違う。一度発明されるとモノは実験室ではなく工場で作られるようになる。量産品として、より普通の人々の手によって。


Alex Wellersteinという人のブログ「Doomsday Machines」で、アメリカの核兵器工場で働く人々の写真を紹介する記事を見た。これがあまりにも衝撃的だったので、もう1日中そのことばかり考えていた。

最初の問いをもう一度繰り返す。核爆弾は誰が作ってるんだろうか?

僕はなんとなく、全米トップクラスの大学を出た博士号をもつ白衣姿の科学者がクリーンルームで作ってると思っていた。しかし、現実はどうも違うらしい。写真の人たちはもう痛ましいほど「普通」だ。その辺のスーパーでレジを打ってそうだし、その辺の整備工場で車を直してそうだ。

これをみて僕はもう情緒がわけわかんなくなっちゃった。心が引き裂かれ、頭の中で色んな考えがぐるんぐるんしてしまった。物理学にのめり込んで倫理観を見失ったいかにも悪そうなマッドサイエンティストなんてどこにもいない。みんな普通のオバちゃんや普通のおじさんばかり。そこには普通の人々の平凡な日常が流れていた。


パンテックス・プラントと呼ばれるその工場はテキサス州の端っこにある。これはアメリカに行ったことがない僕の勝手な想像だが、テキサス・パンハンドルはたぶんとんでもない田舎だ。少なくともGoogleMAPではそう見える。

パンテックスの求人を見てみると、高卒以上で技術系の仕事経験があれば誰でも応募できそうな感じのことが書いてある。

地元の高校を卒業して町のホームセンターで働いてたお母さんが、都会の大学に進学したいという一人息子のためにこの地域で一番給料のいいパンテックス・プラントに転職し、そこで毎日一生懸命核爆弾を組み立ててる・・・もしその時が来たら、ちゃんと動作するように・・・

なんて、あるかもしれない誰かの日常を想像するとなんか人類のことがわからなくなる。ここで作っているものは世界文明を終わらせる日のための兵器だ。でもそこで働いている人々はもっと日常的な問題と戦っている。それは息子の学費かもしれないし、家のローンかもしれない。彼らにとって核兵器を組み立てることは平凡な一日の一コマであり、他にも山ほどある色々な問題の一つに過ぎないのだ。


ブログの著者はこうも言ってる。

「核兵器はフィクション以外で想像できる最も強力な破壊の象徴ですが、一方で人間の手によって作成、維持、解体されているありふれた技術的物体でもあるのです」Alex Wellerstein

そう、それは工業製品で、スマホや消しゴムや自販機で買えるエナジードリンクと本質的にはなんら変わらない。適切な材料と方法さえあれば誰でも作ることができる。誰でも作ることができれば沢山作ることができる。人類はこうやって現代文明を手に入れた。地球を支配し、自らも支配した。僕は文明の話をするときは科学者たちよりも工場のほうを強調するようにしている。凄いものを作るよりも、それを大量に作ることが文明を文明たらしめる。


僕は鉛筆の一人称で書かれたレナード・E・リードのエッセイを思い出した。少し長いけど引用したいと思う。

「油田労働者も、化学者も、黒鉛や粘土を採掘する人も、船や列車やトラックを操縦したり作ったりする人も、私の金属片にローレット加工を施す機械を操作する人も、会社の社長も、私を欲しがってその唯一の仕事をしているわけではない。 (中略) この膨大な数の人々の中には、鉛筆を見たこともなければ鉛筆の使い方も知らない人々もいる。彼らの動機は私とは別のものだ。おそらくそれは次のようなものだろう。これらの何百万人もの人々はそれぞれ、自分のわずかなノウハウを、自分が必要としたり欲しがったりする商品やサービスと交換できることを知っている。私はその商品の中にいるかもしれないし、いないかもしれない。」Leonard E. Read

きっと、核爆弾工場で働く人だって、核爆弾が欲しくてその仕事をしているわけではない。もちろん多少は安全保障に貢献したいと思ってるだろうけど、他にも色んな理由があってそこにいる。もっと現実的な理由が。

誰もが必死に自分の人生を生きていて、自分の仕事を全うしようとしている。僕はそれはそれは大変崇高なことだと思う一方、どこかおかしさも感じている。みんな頑張ってるのに、全体として世界はこんなにもいびつで不完全だ。いったい何が人々を狂わせてしまったのだろうか。

人類の狂気と誰かの日常が入り交じる場所、それが核爆弾工場。