年が明けた。
2024年は新年早々から大きなニュースが飛び込んできて暗い。もっぱら、外野として眺めているだけの僕はむしろ遠くで事が起こると興奮するタイプなので今がそんなに暗いという感覚はない。ただそんなこと人前で言ったら変なやつだと思われるので言わないけど。
インターネットは「ちょっと言いづらいけど事実」が言える場所として今後もあり続けてほしい。事実から言葉を導くのだ。
話は変わって、今日は身近な軍拡競争について考えてみる。
基本的にこれは資本主義の功罪についての話だ。だけど、「資本主義」なんて平然と書いてたらめちゃくちゃ思想が強いやつだと思われるので好きではない。意外にも僕は自分で思っている以上に見た目を気にするらしいということが経験的に明らかになっている。
そこで考えたのが軍拡競争という言い方だ。資本主義と軍拡競争は構造がよく似ているので、隠語としても比喩としても適していると思う。まあそれでも日常会話でいきなり軍拡競争とか言い出すやつも変なのは間違いないけど・・・
あとついでに本編と関係ないけど、これは木を見て森を見ずのうち、森のほうの話になる。毎回ざっとしたアイデアを書くだけだと、どんなレベル感の話なのか分かりづらいのでタグに「木」とか「森」とか付けるってのを試験的に導入してみる。
さて、本題に入ろう。きっかけは運送約款というやつについて考えている時だった。僕は普段から電車に乗って学校に行ったりするわけだが、鉄道会社の運送約款を読んだことはない。
運送約款というのは電車の利用規約みたいなものだ。鉄道を使うということは、その鉄道会社の運送約款に同意したことになる。
なので、トラブルが発生した時は運送約款に従って判断されることになる。例えば運送約款に「遅延しても運賃の返金はできません。」と書いてあったら、その通りに対応されることになる。会議に遅れたらどうする!返金しろ!と騒ぎたくても、電車に乗ってる時点で運送約款に同意したことになるので大人しく従う必要がある。これが運送約款というものだ。
では仮に、運送約款をちゃんと全部読んだとして、「同意したくない場合」はどうすれば良いのだろうか?
答えは簡単で、乗らなきゃいい。というか同意してないなら乗ってはいけない。
問題はここから。では電車に乗らない場合、僕はどうやって学校に行けばいいんだろうか?
GoogleMapで家から大学までの距離を測ってみると、だいたい20kmある。車で30分、チャリで2時間、徒歩なら4時間半くらいだろうか。東京は信号が多いので時間帯によってはかなりの時間がかかる。
貧乏大学生が車を買うのは現実的では無いので、チャリが妥当なところだと思う。だけどチャリで片道2時間、往復4時間を毎日通うんですか?という話になる。体力も相当使う。この状態で学校帰りのアルバイトはかなりきついだろうし、試験勉強はもっときつい。
流石に学校の近くで家を借りて住んだほうがいい。だけどこれはお金がかかるので、無理な場合もある。なんせ東京の家賃は高いので。
このように考えてみると、電車に乗るという選択肢が無くなるだけで、社会生活が極めて不自由で過酷なものになってしまうことが分かる。
大学生が普通の社会生活を営もうとすれば、電車に乗るというのはほぼ必須の事項なわけだ。なので運送約款にも当然同意しなければならない。
どれだけ運送約款の内容が嫌でも、同意しなきゃ学校に行けないんだから。
実際のところ運送約款はまやかしに過ぎない。読んだかどうかはそれほど重要ではなく、そもそも同意して電車に乗るくらいしか現実的な選択肢がないのだ。
電車だけじゃない。LINEの利用規約に同意したくなかったら?訳わかんない別のアプリを合う人全員にいちいちインストールさせて連絡取るんですか?本気で言ってる?そんな奴いたら普通に面倒くさい。なので現実的に考えて皆が使ってるものに合わせるしかない。同意するしかないのだ。
今日の社会の中で、利用規約や運送約款という仕組みには色々と無理があると思う。それしか選択肢がないのに、いざとなったら「でも同意したんでしょ?」と言われて責任を負わされる。ひどい。
僕は個人的に「日常生活の中で、責任を負わされる選択が多すぎるだろ!」と思っている。何かをしようと思ったらすぐ利用規約に同意する必要がある。もちろん読んでない。トラブルなんて起きやしないだろと願う(あるいは忘れる)くらいしか現実的にできることはない。
あなたは関係する全ての利用規約を熟読し、更新された部分を入念にチェックし、他の様々な代替案と比較検討し、常にトラブルの可能性を総合的に評価して判断を下すんですか?毎回?まさか。
毎日バスと電車を乗り継いで、飲食店に入って、スマホの中に何個のアプリが入っていて、今まで何個のウェブサービスでアカウントを作り、それらの代替候補となるサービスがこの世に何個あると思っているんですか?
ご存知無い人もいるのかもしれないけど、人間の脳の処理能力や記憶容量には限界があります。
ここでようやく最初の話に戻る。結局これはお金があれば解決することなので、資本主義的システムの代償と言える。人は自分の持っているお金の量に応じて人生の自由度を決められる。お金の無い僕はある程度の不自由を許容しなければならない。インフラを敷くのはタダでは無いのだ。
ちょっと話は変わるが、資本主義を軍拡競争と例えたのは、無数の企業が乱立して競い合う様子が滑稽だからというわけではない(そういうことにして欲しい)。むしろ悪いのは僕たち自身でもあるのだ。
企業は次から次へと物やサービスを作り出し、我々の生活様式を積極的に操作しようとする。なぜか?それは、我々が欲しているからにほかならない。
現代社会というのは「君が持っているなら、僕も欲しい」(トーマスウェイツ著『ゼロからトースターを作ってみた結果』新潮文庫, p180)あるいは、「みんなが持っている(ありふれた)物よりも、もっと珍しいものがほしい」という、単純な欲求を原動力として動いていると僕は思う。だれも持たざる者の側になりたくないから。
つまり、実際の戦争と同様に、物の購入や消費にも常に相手がいて、相手の持ち物に影響されて自分の持ち物を決めている。僕が買ったものに影響された僕の友達は僕と同じかあるいはもっと良いものを買おうとする。僕らは無意識のうちに軍拡競争をしているし、仕事をして新しい製品を生み出すことでそれを煽ってもいる。
そうやって作られた社会に僕らは生きていて、その結果の一つとして今日話したような問題も生まれる。
「電車なんて大した料金じゃないんだから、それくらいいいだろ。」ともちろん思うんだけど、僕はどうしても込み入った問題について考えてみたくなってしまう人間だ。役に立つ実用的なものを考えたり作ったりするのに関しては僕よりももっと得意な人がいるはずだ。むしろ僕はどうでもいいことをこれからも書いていきたい。実はこれ、新年の抱負である。