2025年1月4日土曜日

アイデアの壁打ちをするときはちゃんと言うようにしたい

 最近X(旧Twitter)の別アカウントを作った。アカウント名を何にするか丸一日近く悩んだので、その日の夕方Discordで友人に「なんかいい名前ない?」と聞いてしまった。言っておくがこういうムーブは大抵いいことがない。聞かれた側は困るし、聞いた僕も納得の行く返答が返ってこなくて微妙な感じに終わる。

今回も、色々時間を使って聞いたのに、結局友人の案とは全然違う名前に決めることにした。親しい友人だったらまだしも、仕事の付き合いしかない人間にこれをやられると多分嫌いになると思う。「なんだよ、あんだけ聞いてきたのに全然俺の意見使われてないじゃん」って。だからできれば自分ひとりで考えたほうがいいんだ。

利害関係者が沢山いて、コンセンサスが必要な場面ならコミュニケーションは確かに重要だ。でもそれはアカウント名みたいな僕の個人的な問題のために気安く使うべきではない。相手の貴重な時間を使ってしまう前に、まず自分で考えろ。そう思うし、僕はそうしていきたい。今回は悪い癖が出たと思って反省している。


しかし改めて考えてみると、現代人はコミュニケーションの病にかかっていると感じる。現代ではコミュニケーション能力が賛美されているが、僕からすればちょっとやり過ぎだ。その結果、アカウント名なんて自分で決めればいいものを誰かに意見してもらうなんて愚行が横行する。もはや病的ですらある。

もちろん大昔の哲学者も人間は社会的な生き物だとか言ったが、今はそれを身を以て体感することが多すぎる。あらゆることが他人との関わりを前提として組み立てられている。そういうシステムを嫌っていながらも、実際にはそこで有名になったらいいなと思っている自分もいる。ダサいけど、それが真実だ。自分に嘘はつきたくない。


でもそんな、やり過ぎなコミュニケーションだって完全に無益なわけではない。アカウント名のアイデアを相談しているうちに、「そうか僕がやりたいのは本当はこっちじゃないんだ」と気づくことだってあるかもしれない。結局これはアイデアの壁打ちというやつだ。ビジネスでよく使われる概念のイメージだが、僕らは無意識のうちに日常もでもこの壁打ちをやっているのだ。

重要なのは、予告なくアイデアの壁打ちをすると、相手は出したアイデアが何一つ使われず時間を無駄にしたように感じるという点だ。真剣に向き合って意見を出してくれた人ほど損をするという罠がある。なので、壁打ちをするときは事前にちゃんと言おう。

「ちょっと、アカウント名を何にするか悩んでいるのでアイデアの壁打ちに付き合ってもらっていいですか?今から僕が色々言うので、意見をください。あなたの意見はおそらく最終的には全く使われませんが、それでも僕にとっては意味があります。」と。


いきなりこれを言われたらちょっと怖いが、でも重要なことだ。


以前積読チャンネルというYouTubeで話してる人がこんなことを言ってた。

ズルするときは事前にちゃんと言うようにしてる。こういう理由で大変なので、こっちのやり方でやってもいいですか?って」

良いルールだと思った。それでダメと言われる場合もある。というかむしろそのほうが多い。「言わなきゃ見逃してたのに~」って聞かれた相手は思うだろう。知った上で承認したなら責任を負うことになるので断るのが無難だ。


でも僕らは理想主義に憧れている。たとえ何も得られないと知っていても、正しいと思ったことをする。そういうタイプの人間に憧れている。だからこちらの手の内を明かすし、それで損をしても理想の追求のために支払わなければならないコストだと知っている。


「アイデアの壁打ちをさせてください」なんて堂々と言ったら、たぶん変だし、自分で考えろと一蹴されるかもしれない。でも壁打ちじゃないフリをして、壁打ちをするのはよくない。やるならちゃんと事前に言っておきたい。今回はそれができなかった。


これは事実上の反省文だ。新年早々から分けがわからないが、今年もこんな感じでやっていきたいと思う。